『破門後の創価学会には寺院もなく僧侶もいない、』・・・・このことは『我が家』の宗教として選択するに適格性を欠いている。創価学会は『宗教改革だ』、『宗門は葬式仏教だ』等云っているが、結婚式 地鎮祭 七五三 葬儀 法事等 『我が家の慶弔事』が伝統的な化儀の下に行われてこそ慶弔事の厳粛さがあり 新興宗教ではなく 『当家の宗旨』として子孫が認識し継承していけるのである。それが確実な広宣流布につながる。破門後の創価学会では、派手な活動はしていても『個人の信仰』レベルが多く 子供が結婚して別世帯になっても御本尊を安置することが出来ず、『当家の宗旨』として継承されない家庭が多いのは、子供からも新興宗教と見られているからだ。奥さんだけが信心している所謂一人信心は先祖からの他宗寺院との縁が切れておらず、ご本人が亡くなればご本尊が返納されるのは通例である。
創価学会では『組織は学会員のためにある』と云うが、実は反対で選挙、聖教新聞、池田名誉会長を宣揚する催し物の人集め等 学会員が創価学会に奉仕しているのが現状である。日蓮正宗時代は、広宣流布のため、信心活動として受取ることも出来たが、三大秘法を離れて真の広宣流布はなく 会合では日蓮正宗、僧侶批判に終始し『師弟』が強調される。とてもまともな信心活動とは云えない。極端な池田先生崇拝者がいる一方、この事に気付き始めている学会員もおり活動家は年々減少している。会員名簿を見ても非活動家と死亡退会が目立ち、組織活性化のためにブロック、地区の統廃合が進んでいるが組織崩壊は止まらない。私の地域では市会議員を2名立てているが、5・6年後はとても2名は無理な状態である。
宗門を離脱し敵対することは邪宗を意味する。
正に池田創価学会は、四恩抄、新池御書に説く末代の凡夫そのもの姿に堕ちてしまった。創価学会は日蓮正宗に復帰し僧俗和合して広宣流布に励むべき。
池田名誉会長は800万世帯の学会員を本門戒壇の大御本尊から引き離したことに責任を取るべきなのである。 |
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(四恩抄)
仏宝・法宝は必ず僧によて住す。譬へば薪なければ火無く、大地無ければ草木生ずべからず。仏法有りといへども僧有りて習ひ伝へずんば、正法・像法・二千年過ぎて末法へも伝はるべからず。故に大集経に云はく「五箇の五百歳の後に、無智無戒なる沙門を失ありと云って是を悩ますは、この人仏法の大灯明を滅せんと思へ」と説かれたり。然れば僧の恩を報じ難し。されば三宝の恩を報じ給ふべし。
末代の凡夫、三宝の恩を蒙りて三宝の恩を報ぜず、いかにしてか仏道を成ぜん。
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新池御書
末代の衆生は法門を少分こころえ、僧をあなずり、法をいるがせにして悪道におつべしと説き給へり。
法をこころえたるしるしには、僧を敬い、法をあがめ、仏を供養すべし。
今は仏ましまさず、解悟の知識を仏と敬うべし。争でか徳分なからんや。
後世を願わん者は名利名門を捨てて、何に賤しき者なりとも法華経を説かん僧を生身の如来の如くに敬うべし。是正しく経文なり。
曽谷入道許御書
内には弟子有って甚深の義を解り、外には清浄の檀越有って仏法久住せん
戸田城聖全集
良き法と、良き師と、良き檀那との三つが、そろわなければだめなのです。南無妙法蓮華経、これは良き法にきまっている。大御本尊様は良き法なのです。ですから、御法主上人猊下をとおして大御本尊様を拝しますれば、かならず功徳がでてくる。ただ良き檀那として、その代表として、その位置にすわれたことを、私はひじょうに光栄とするものであります |
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