公明党元委員長が見た池田名誉会長
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公明党元委員長 矢野氏
手記 「創価学会名誉会長 池田大作と
「黒い手帖」事件

 2009年は、自自公政権の発足(1999年)以来、10年にわたって政権与党の座にあった公明党にとって大分水嶺の年となった。それは私個人にとっても然りである。3月27日、東京高裁で画期的な判決が言い渡されたのだ。もっとも私に言わせれば、当然の判決でもあるが。
 公明党の書記長、委員長を歴任した議員時代を含め、37年にわたってつけ続けていた、約100冊もの手帖がある。これを2005年、3名の元公明党議員が持ち去るという「事件」が発生。この件につき、手帖は私を脅迫して出させたものという司法判断が下されたのだ。私からの「自由意思による譲渡だった」という、彼らの主張を認めた1審判決を、完全に覆すものだった。公明党・創価学会による私への一連の不当な攻撃に対し、司法がキッパリ違法性があると認めた逆転勝利と言える(元議員側は最高裁に上告)。
 手帖には、政界の裏話や私が直接関係した学会のための裏工作などが赤裸々に綴られている。一連の「事件」の経緯や裁判の詳細については『黒い手帖 創価学会「日本占領計画」の全記録』や『「黒い手帖」裁判全記録』(いずれも講談社刊)に記したので、ここで詳しく触れることはしない。現状を簡単に述べれば、裁判所が手帖を私に返還するよう命じたにもかかわらず、いまも私の手許に手帖は戻ってきていない。だから、今回の手記に取り上げる池田氏の言動は、私の記憶に残っている「黒い手帖」の中身や、その他多くのメモなどに依っている。
 それにしても、この間の公明党・創価学会による私への攻撃は、まさに常軌を逸していた。
 まずは、政治評論家としての活動を一切停止させられた。10年以上も前に書いた雑誌の連載記事をやり玉に挙げ、やいのやいのと吊るし上げにあって、恐ろしくなって「評論家活動をやめます」との誓約書にサインせざるを得なかった。この誓約に基づき、丸々3年間、私は一切の評論家活動から身を引くことになる。
 だが学会や党からの攻撃はそれでは終わらなかった。
 『聖教新聞』や『公明新聞』など、いわゆる学会系の機関紙誌では、私への読むにたえない罵詈雑言、誹謗中傷が繰り返された。何億円単位の寄付をしろ、と折に触れ、再三にわたって強要された。
 自宅は24時間、監視の目にさらされた。我が家を見下ろせるマンションの一室を確保し、張り込みの拠点にしていたようだ。
 外出時には必ず尾行がついた。表の通りに出てタクシーを拾うと、すかさず尾行車が背後につく。どこか近所に車を用意していなければ不可能な芸当で、極めて用意周到な態勢が組まれていることが窺われた。身の危険を感じないほうが無理である。電車に乗る際は、絶対にホームの端に立たないように気をつけた。常に背後を警戒しなければならなかった。
私の友人、親戚にも嫌がらせや中傷の言葉が浴びせられた。組織全体が連動した個人攻撃で、まさしく組織犯罪である。
 こうした監視・尾行は、あえて「身元不詳の者たち」の仕業と言っておくが、彼らのビデオや写真は山ほどある。尾行者(車)についてはそれが誰なのか、現在、協力者を得て“犯人”を特定する作業を行っているところだ。
 ともあれ、こうした私への攻撃は、2008年5月に私が創価学会を退会し、私への人権蹂躙で提訴すると、表向きはぴたりとやんだ。泣き寝入りしているといくらでも攻撃をしかけるが、反撃されると立ち往生する。いかにも学会らしい反応である。いや、学会らしいと言うよりは、池田氏らしいと言ったほうがより的確か。池田氏の本質は神経質、はっきり言うと臆病なのだ。これは悪口の類ではない。あの猜疑心の強さと臆病さがあって、今日の創価学会と池田氏があるのである。
 前述の通り創価学会においては、池田氏の意向を無視しては、何事も決まらない。私に対する執拗な攻撃にしても、公明党・創価学会のあらゆる組織を動員している。これは池田氏の意向なくしてはありえない。
 しかし、自分をこのような目に遭わせたのが間違いなく池田氏の意思、命令だと確信していても、彼を心底から恨む気になれない。恨みよりも「あの人らしいな」という気持ちが先に立ってしまうのが本当のところだ。
 彼と身近に接し、一度でも虜にされてしまった人間は、たいていそうなのではないか。彼の有す人間的魅力は、それくらいの呪縛力なのである。
 ただ誤解を避けるためにあえて言う。池田氏の恐るべき呪縛力は、このところ学会の反社会的な行動に強く発揮されていると言わざるをえない。「あの人らしいな」と笑い事では済まされない。

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