公明党元委員長が見た池田名誉会長
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公明党元委員長 矢野氏
手記 「創価学会名誉会長 池田大作と
神懸かりな言動

 思えば、初めて池田氏と対面してからすでに50年以上が経過した。最初に対面したのは1955年、創価学会関西本部の2階にある応接間だった。当時、池田氏は東京の学会本部では渉外部長、青年部では参謀室長という要職にあり、関西担当として、よく関西を訪れていた。京都大学在学中の1953年に入信した私は、それまでにも大きな会合などで池田氏の姿を見たことはあったが、間近に接するのは初めてだ。後に衆参両院で国政の場に立った矢追秀彦氏に紹介された。池田氏はただ一言、「ああ、そうか。うん、覚えておく」と言っただけだった。ところが、その直後、矢追氏が言うのである。
 「矢野君、すごいやないか。池田さんが初対面で『覚えておく』って言ったの初めて聞いた」
 どういうことだったのかは今も分からない。ただ、その後は頻繁に声を掛けてもらったし、何かと気に掛けていただいたのも事実だ。
 たとえば、こんなことがあった。大学卒業後の1956年に、私はゼネコンの大林組に入社した。この年、学会にとって初めての参院選があり、私は仕事も放り出して、選挙運動にかかり切りだった。さらに翌年も参院の補選があり、またも会社を休んで選挙運動をしていたら、会社から大目玉を食らってしまった。当然である。しかし、学会活動にのめり込んでいた私は「これも法難」などと思いながら、「こちらから辞めてやる」と啖呵を切った。報告のために学会の関西本部に行ったら、偶然、池田氏がいた。
 「先生、会社をクビになりました」
 当時の自分としては、信心のあまりクビになったようなもので、誉められるのではないかとむしろ誇らしげだったように思う。
 ところが、池田氏からは、「バカ野郎。会社をクビになるような奴は学会の恥さらしだ。そんな奴は学会もクビだ。すぐ、会社に戻れ」と叱責されてしまった。会社に引き返した私は、上司に平謝りしてなんとかクビがつながることになった。改めてそれを報告に行くと、池田氏が今度はご満悦の表情でこう言うのだ。
 「そうかそうか。戻れたか。よかった、よかった。これからは仕事を一生懸命やるのが君の使命だぞ」
 学会草創期の池田氏には、社会生活を大切にするという心情があったと言える。組織が巨大化した今はどうか? 当時のような謙虚さは微塵もない。
 また、その頃の池田氏は、1人で移動することも多かった。まだ新幹線も通っていない頃、来阪した池田氏が東京に戻るというので、夜行列車で私が大阪から東京までお供した。東京駅に着くと池田氏の奥さんがホームで待っていたのが印象に残っている。今からは想像も付かない、池田氏と会員たちとの距離が極めて近かった時代のささやかな思い出である。
 その後、大阪府議会議員を経て、国政に進むことになる私は、次第に学会内での地位が上がり、池田氏と会う機会が増えていく。そうなると、池田氏のこれまで知らなかった側面も知ることになる。たとえば池田氏は時折、神懸かり的な言動を取ることがあった。
 1967年の4月、日蓮正宗総本山大石寺にある墓苑を見分に行くのでついて来い、ということで学会や党の幹部ら数人でお供したことがあった。牧口常三郎・初代会長や戸田城聖・2代会長の墓もあり、学会の中でも古参会員の墓が多い。夕暮れ時、日が沈んで暗くなりかかった時刻だったと記憶している。
 墓苑に到着し、敷地を歩いていた時のことだった。池田氏がふと足を止めて、
 「おい、何か聞こえないか」
と言い出した。しかしどれだけ耳を澄ましても何も聞こえない。我々は思わず顔を見合わせる。
 「申し訳ありません。何も聞こえませんが」
 だが池田氏は遠くを見るようにして、
 「いや、確かに聞こえる。俺を呼んでいる。あっちのほうだ」
 指差して、「誰の墓だ?」と聞くのでお付きの人間が走って見て来た。
 「○○さんのお墓でした」
と報告すると、
 「そうか。そうだろう」
 池田氏は優しい表情になって、いかにも納得いったという顔で懐かしそうにつぶやく。
 「やはり彼か。古い同志だ。俺を呼んでいるんだ」
 そうした場面に接するたび、我々は、「ああ、やはり池田先生は凄い」と感じ入ってしまうわけだ。
 墓苑の控え室に帰って来ると、我々はさっそく声を潜めて反省会。その光景はマンガチックですらある。
 「おい聞こえたか」
 「いや何も聞こえなかった」
 「まだまだ俺たちは信心が足りない」
 こうして氏のカリスマ性が、さらに高まる。彼への心酔度が一段と増すことになるのである。墓苑という舞台設定、夕刻というシチュエーションが、そうした感懐を煽るのに一役買っている面もあるのかも知れない。
 実は私は、冷めた人間なので、内心どうしても他の幹部たちほどには没入できない。「ああ、またやっとるわい」といった思いについ駆られてしまう。
 だがそんな私でも、あれがすべてただの演技とは思えない。池田氏の振る舞いがいかにも自然だからだ。こういうことをやれば周りはこう受け取るだろう、こんな効果があるだろうなどと頭で計算してやっていたのでは、どうしてもウソっぽく映るはずである。少なくとも、私のような人間には。
 しかしそうではない。もしかして本当に聞こえているのでは、と私ですら思えてしまうほどなのである。
 こうしたことをサラリとやってのけるところがまた、氏が生まれついての人たらし、人心掌握術の名人たる所以なのであろう。

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