公明党元委員長が見た池田名誉会長
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公明党元委員長 矢野氏
手記 「創価学会名誉会長 池田大作と
演説はざっくばらん

 入室してくる池田氏の姿は颯爽としたものだ。さりげなく「やあ」などと手を振りながら悠然と歩く。時おり、「よお元気」などと出席者に声をかけながら会場を見回している。部屋の奥まで進むとまずは正面の祭壇に手を合わせる。お題目を三唱し、この時は会場全員これに合わせる。池田氏の登場によって話を中断させられた秋谷氏も同様だ。終わると池田氏はおもむろに、例の専用椅子にどっかりと腰を下ろす。
 「続けろ」
 言われて初めて秋谷氏は話を再開するが、もはや指導にも何にもならない。誰もそんなもの聞いてなどいない。おまけに時々、
 「ほんとになあ。面白くない話だなあ」
などと池田氏から茶々が入るから、なおさらだ。
 「事務的だなあ。官僚だよこれじゃ」
 そのたびドッと会場から笑いが上がる。これでは話になどなるわけがない。出席者の間でも内心、「本当だよ」「とっとと終われ」という雰囲気になってしまう。
 ましてや時おり、池田氏は隣の幹部に向いて何か言う。
 とたんにしーん、と会場は静まり返る。何を言っているか、全員が聞き取ろうとするのだ。もちろん聞こえるわけがない。1000人以上も入る広い部屋なのだ。実際、一番前に座っている私でも聞き取れたことはない。おまけにただ、隣の人間に向かって小さな声でボソボソ何か言っているだけで、たいした話ではないに違いない。
 それでもみな、聞き取ろうとする。針が落ちても聞こえるほど、しーんと静まり返って耳を澄ます。いま思い返しても不思議な光景だった。それも、毎回毎回こうなのである。
 要はあれがマインドコントロールのテクニックだったのだろう。コケ脅しもハッタリもない。静かに池田氏が入場してわずか数秒で、その場にいる全員の心をワシ掴みにする。自分の一挙一動に注目させ、意のままに操ってしまう。開会前の演奏という雰囲気作りから始まって、会長の話の途中で入場してくるタイミングといい、すべては一貫した見事な演出のように見える。
 ただそれを、いとも自然にこなしてしまう。おそらく本人も、自分の行動が与える効果はこういうもので、などと一々意識してやってはいまい。やはり、天才なのだ。墓場で声が聞こえるといった、あのエピソードと通底しているものがあろう。かくして会場の全員が、池田氏の操り人形と化してしまうのである。
 結局、秋谷氏は話の途中で早々に、
 「ではそういうわけでございますから、これで終わります」
と切り上げることになってしまう。池田氏が、
 「何だ、もう終わりか。もっと続けろ」
などと言うこともあるが、これは単なるからかいだ。満場から、「もうやめろ」とばかりに秋谷氏が演壇から降りるのを促す意味の拍手が起こる。秋谷氏がサッサと引き上げると、会場は大笑い。要は会長ですら、池田氏を引き立てるための道化にすぎない。
 こうしてすでに満場が氏の虜になったところで、「池田先生のお話」である。池田氏の椅子の前に、テーブルとマイクが運ばれてくる。彼だけは話をするのも座ったままだ。
 演説原稿は事前に、専門スタッフによって用意されている。だがそんなもの、ろくに読みもしない。
 私もあれだけ毎回出席していたが、宗教的な説話を聞いた、というような記憶はあまりない。せいぜいが、
 「やっぱり大御本尊に祈るんだ」
とか、
 「一念の力が大事だ」
といったような短い言葉、キャッチフレーズを口にするくらいである。日蓮大聖人の仏法の意味がどうの、というような教学的に立ち入った話は、まず聞いた覚えがない。
 難しい説話どころか話ですらなく、マイクを持つといきなり、
 「やあみんな、あれだね。ああそうだ。伸びをしよう、伸び」
などと言うこともしばしばあった。
 「はい、起立起立。みんな立って」
と自分も立ち上がって、
 「はい、うーん。深呼吸してー」
 「ねえ、こういう風にやるんだよ。さっきから秋谷なんかが難しい話してたが、あんなのダメだ。楽しくやらなきゃダメなんだよ、楽しく」
 「ねえそうだろ、みんな」
と振られれば全員「はーい」である。完全に呑まれている。ペースに嵌められてしまっている。単純な身体の動きで、まずは聴衆を引きつけてしまうのだ。
 出席者を指差して、
 「お、君、病気だったんじゃなかったか。もうすっかり元気そうじゃないか」
と話しかけることもある。本当に覚えて言っているのか、それとも演出だったのか。今となっては分からない。でも私は本当に覚えていて声を掛けていたと思う。池田氏にはそういう記憶魔的なところがある。「はい」と答えたのが仕込みのサクラだったのでは、という人もいる。彼ならそれくらいやり兼ねないからだ。
 ただ考えてみれば、わざわざ仕込むまでもない。サクラなど別に設けず、氏が適当に会場を指差して、勘違いなことを言っていただけとしても、要するに結果は同じなのだ。たとえ指差された者が、全く身に覚えがなかろうと、
 「いえ先生、人違いではないでしょうか。私は病気になどなっていませんが」
などとあの場で反論できるだろうか。そんなことが言えるような雰囲気ではない。
 些細な一言で会場を1つにまとめる生来の求心力に加え、こうした間を差し挟むタイミングも見事なのは間違いない。
 その後も語り口はざっくばらんなままである。小難しい話など一切ない。翌日の聖教新聞を見ると、「キリスト教の教義は」とか、「キルケゴールが言ったことによれば」といった高尚な話をしたとの記事が載るが、それは事前に用意されていた演説原稿だ。実際、少しはそういうことも読み上げていたが、実感としてほとんど記憶には残っていない。それより原稿にとらわれない、池田氏自身の肉声によるアドリブがとにかく面白い。
 「この前、政治家の○○が来てね」
と、演説というよりほとんど雑談、世間話である。とても親しみやすい。
 「先日、○○国の大臣に会ったんだよ。いや、さすがたいしたものだよ。人物だね、あれは」
 「それに比べて日本の政治家はダメだね。特に最近のは、ろくなのがいない」
 「ほれ、そこにも矢野なんかがいるが、どうも最近、偉そうにしているぞ。人相も悪くなった。自民党なんぞとコソコソつき合ってなんかいるから、そうなるんだ。怪しからん」
などと突然、名指しされてしまうこともある。これをやられればこちらは、ひれ伏してただただ恐縮するしかない。
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