公明党元委員長が見た池田名誉会長
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公明党元委員長 矢野氏
手記 「創価学会名誉会長 池田大作と
学会員一人一人と直結するシステム

 例えば地方の学会員が亡くなったとする。すると、さしたる役職でなかったとしても、色紙だの伝言メモだのといった、記念になるような品々が贈られることが多い。それも創価学会からではない。池田先生からの、という口上が必ずついてくる。
 もちろんそんな地方の会員を一々、池田氏が直接知っているわけがない。すべてオートメーション化されているのである。担当しているのは第一庶務という部署。池田氏の側近中の側近である個人秘書たちもここに属しており、学会のトップクラスの、超優秀なメンバーが集められる。池田氏付の「本隊」は20〜30人程度だが、「第一庶務付」といわれるスタッフの他、方面組織、県組織に担当者が配置されている。担当方面で誰かが亡くなれば、弔電を打ったり、何かを贈ったり、というシステムが構築されているわけである。
 また地方本部も、冠婚葬祭における対応については自動化されている。全国にこれだけの会員がいれば、毎日どこかで誰かが亡くなったり、慶事があったりしているわけで、そのたび自動的に池田氏の名前で物が届けられる仕組みになっているのだ。
 だが内実はオートメーションであっても、もらった側はやはり感激する。それに、ただの機械仕事とは思えない、ちょっとした仕掛けが施されている。
 会員が亡くなった場合、その経歴についての情報が地元の支部から、第一庶務に上げられる。すると「故人の壮年部における○○の功績に感謝して」というような具体的な文言が、記念品について来るのだ。遺族にしてみれば、
 「ああ、池田先生は父(母)のことを知っていてくれたんだ。覚えていてくれたんだ」
となる。そして、
 「やっぱり優しい先生だ。何て慈悲深い先生なんだ」
と、池田氏に対する思慕がさらに深まる結果となるわけだ。
 会員も、ただ一方的にもらうだけではない。何かの記念日があれば、地方の会員は大挙して東京に馳せ参じる。
 例えば5月3日は池田氏の会長就任記念日で、「創価学会の日」として何より大切な日である。こうした時、地方本部は会員に対して、
 「東京へ行って池田先生にお礼を差し上げよう」
という呼びかけを行う。何人東京へ送り込んだかで、県の幹部の“勤務評定”も決まるため、彼らとしても必死だ。それぞれの地区で1人1万円ずつ、といったように寄付を集め、何人かを引き連れて上京するように指導する。
 新宿区信濃町の本部会館では、野外にテントが張ってあり、「接遇班」の人間がズラリと並んでスタンバイしている。上京して来た会員たちは集めて来た寄付に、手紙やお菓子などを添えて彼らに届ける。班員は彼らの名前を聞いて、一人一人記録する。「ご苦労様でした」と記念品が手渡される。
 「接遇」と称しているところからも分かる通り、上京して来た会員たちはあくまで「客」という扱いである。信徒が学会に詣でたのなら「客」とは呼ぶまい。つまり彼らは池田氏個人を訪ねて来た客人なわけだ。だから会計上はともかく、気持ちとしては寄付も学会に対してではなく、池田氏に対して差し出しているようなものだ。
 寄付を終えた地方会員は本部会館内を案内され、お題目を唱えて、
 「ああ今日はよかった。いい日だった」「池田先生と気持ちが通じた」
と満足して帰って行く。実際に会ってはいなくとも、気分としては池田氏と身近に接したも同然だ。池田氏にお礼をして、記念品をもらったことで、心と心が触れ合った心地なのだろう。
 このようにあの手この手で、現場の一人一人と池田氏とが直接つながる仕組みが構築されている。彼のカリスマ性を現場に浸透させ、根づかせるための、幾重ものシステムが築き上げられているのである。
 こんな大がかりなシステムは一朝一夕で出来るものではない。そのためのスタッフがおおぜい働いているわけだから、人件費だけでも膨大なものになろう。大規模な体制作りが欠かせない。
 それでもこういう仕組みを作ろうと、構想を練る。アイディアを出すのはもちろん池田氏だ。そしてそれを、周りが10年、20年もかけて具現化する。その執念の凄まじさには、もはや脱帽するほかない。

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