公明党元委員長が見た池田名誉会長
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公明党元委員長 矢野氏
手記 「創価学会名誉会長 池田大作と
何かにつけて報告書

 贈り物は年中、全国から届けられる。夏になれば北海道からトウモロコシ、冬には富山湾から寒ブリというように。その地その地の山海の珍味が季節に合わせ、地方から学会本部に贈られる。
 するとそれらは、右から左へ別の会員に振り分けられる。第一庶務が作業に当たり、このレベルの品で、分量がこれだけだったらどことどこへ、というように配分する仕組みが出来上がっているのだ。それにはこれまた、必ず「池田先生からのいただき物です」という口上がついて来る。
 このため党の役職をやっていた頃は、週に何度も学会本部に赴かなければならなかった。「先生からのいただき物がある」と第一庶務から電話で呼び出されるためだ。手許まで届けてくれるということはまずなく、自分で取りに行かなければならない。贈り物はしょっちゅう届くから、多いときは2日に1度は呼び出しがある、という頻度だった。一昨日は魚、今日は果物……という具合である。
 有り難いようで煩わしいのが、こうしていただき物をすると必ず、報告書を提出させられるという点だった。ついついサボっていると、第一庶務から督促される。
 「先生から先日いただき物があったではないか。なのにまだ報告書が上がっていない。先生からの贈り物を何だと思っているのか」
 つまるところお礼の強要である。誰と誰に何を贈ったか。そしてちゃんと報告書が提出されているか、否か。すべて一々チェックされているわけである。ご苦労なことだとは思うが、催促されてはグズグズしてはいられない。忠誠心に疑問符をつけられれば、後でエラい目にあうのは自分なのだから。
 提出した報告書はちゃんと池田氏まで上げられ、決裁を受ける。「見たぞ」という意味で赤鉛筆で印が入れられ、手許に戻されてくる。
 どんなものか知っていただくために、当時、私が池田氏宛に提出した報告書を一部紹介しよう。

〈御礼
ブドウを頂戴いたしまして、本当に有難うございました。
至らない私ですが、真剣に唱題し、闘ってまいります。
第11回党大会、来年の参議院選挙めざし真剣に闘ってまいります。本当に有難うございました。心より御礼申し上げます〉

 この報告書、書式が決まっていて、何かにつけて提出しなければならない。贈り物に対しての御礼くらいなら、読者の方も「アホなことしているな」くらいの感想だろうが、党でこんな会合があった、誰と会ってこういう話をした、という政治に関わる出来事も逐一報告する義務がある。しかも、報告書には、池田氏の直筆による赤鉛筆で、感想や指示が記されていることもあった。
 例えば、私の手許に1969年11月27日付の報告書がある。「宮本書記長と電話の件」と題されており、当時行われていた大阪市議選の補欠選挙で、共産党が公明党・学会を中傷する演説をしていることを私から池田氏に報告する内容である。続いて、私が宮本顕治共産党書記長に電話し、宮本氏の発言として、(1)早期に実情を調査すること、(2)秋谷氏と共産党幹部会委員の下司順吉氏が翌日に顔合わせをして、その席でこの問題を話し合ってはどうかと提案したこと、が記されている。この顔合わせについて記している部分には、池田氏の直筆で、
 「やったらどうか」
と書かれている。
 早速、この指示に基づいて行われた翌日の両者の会談には国会の常任委員長室が使われた。
 ほかにも、衆院選や参院選の立候補予定者の名前をあげて、「御決裁をお願いいたします」とお伺いを立てているものや、「明鳳会」という党の若手中心のグループを結成した際、命名とメンバーの選定(代表幹事には神崎武法前公明党代表が選ばれている)を行った池田氏に御礼を述べている報告書もある。
 これらは、公明党が池田氏にお伺いを立てなければ、何も決められないことを証明している。まさに政教一致と言われても仕方がない。
 いずれにせよ、膨大な量の報告書が、氏の許に届けられている。逐一これらすべてに目を通すわけではないが、池田氏も並の労力ではない。贈り物のお礼まで義務づけるからそうなるのだ、という気もするのだが、報告書を提出させることで、常に自分への忠誠心を確認しておかなければ不安なのだろう。もはや妄執の範疇と言える。

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