公明党元委員長が見た池田名誉会長
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公明党元委員長 矢野氏
手記 「創価学会名誉会長 池田大作と
宗教界の王者に

 創価学会は元々、日蓮正宗の信徒団体の1つとしてスタートした。
 戦前、日蓮正宗の信徒で教育関係者の集まりが「創価教育学会」を結成したのが始まりである。呼び掛けたのは初代会長の牧口先生で、その死後、跡を継いだ戸田先生が創価学会として組織を再編。東京都に宗教法人としての申請を行った。
 日蓮正宗はこれを問題視した。日蓮正宗が1つの宗教法人なのに、その一信徒団体が独立した宗教法人になるのは確かにおかしい。だが戸田先生に率いられた創価学会は当時、破竹の勢いで信者を増やしていた。日蓮正宗としても無視できない勢力だった。そこで「三宝(仏、法、僧)を守る」などの条件を付して、学会の法人化をしぶしぶ認めることになった。
 このため創価学会は、あくまで日蓮正宗の本尊と教義を忠実に守り、その教えを広く世に伝える「広宣流布」こそを目的としていたのである。崇める御本尊は大石寺にあり、各家庭の仏壇などに祀る紙幅の曼荼羅本尊も、日蓮正宗の法主上人(教義上の最高権位者)が書写祈念したものでなければならない。池田氏は日蓮正宗の中においては総講頭という立場であり、法主上人から見れば単なる信徒の代表に過ぎない。宗教上、どちらが上に位置するかは一目瞭然である。
 だが、創価学会の会員数が年々増え、公明党が国政にも影響力を持ち出すと、池田氏は信徒の代表という立場では飽き足らなくなったのだろう。しきりに公然と宗門批判を口にし、対決姿勢を鮮明にするようになっていった。それは創価学会が日蓮正宗を呑み込み、下部に位置づけてやろうと画策しているかのようだった。
 私は池田氏が宗門との対決に方針転換したのは、「言論出版妨害事件」がキッカケだったのでは、と推察している。それまで池田氏は、本気で「政界の王者」を目指していた。実際、「天下を取ろう」の檄が我々公明党幹部に対し、一時はしょっちゅう飛ばされていたのである。このままいけば公明党が議席の過半数をとるのも夢ではない、と本気で考えていたフシがある。そうなれば与党を支配する学会の長として、自分は政治の頂点に立つことができる、と思っていたのではないか。
 ところが現実はそんなに甘いものではなかった。「言論出版妨害事件」で、学会は激しい攻撃を浴びせられた。池田氏は謝罪し、政教分離を明言せざるを得なかった。権力の恐ろしさというものをまざまざと思い知ったはずである。
 そこで方針が転換された。「政界の王者」がダメなら「宗教界の王者」になろう。かくして宗門乗っ取りを目指すことになった。庇を借りて母屋を乗っ取る作戦だ。そして宗門との戦争に専念するには、背後を固めておく必要がある。最もうるさい共産党を黙らせておかねばならない。そのための創共協定だった、というわけだ。1つの方針を打ち立て、そのために次々と布石を打っていく。詐略もためらわない、ある意味で見事な戦略と言える。
 ただ結論から言うと、1970年代半ばから始まったいわゆる「第1次宗門戦争」は仕掛けるのが時期尚早だった。本山からの強烈な反攻に遭い、池田氏は謝罪を余儀なくされる。池田氏のしょんぼりした姿を見て、私は「ああ、この人も人間なんだな」と同情すら覚えた。さらに池田氏は創価学会の会長職を北条氏に譲り、自分は名誉会長に退くことになった。1979年4月25日の聖教新聞に記事が載り、全国の会員に会長交代が発表された。
 だが転んでもただでは起きないのが池田氏である。それ以来、任意団体である「創価学会インタナショナル(SGI)」会長の肩書を前面に打ち出すことで、日本の創価学会会長から世界の創価学会会長にグレードアップしたかのようなイメージを植え付けることに成功した。
 しかも「名誉会長」という立場なら、何かあっても宗教法人のトップとして責任をとる必要があるのは会長になる。「言論出版妨害事件」のような事件が起こっても、国会に呼ばれるのは現会長であって自分ではない。
 池田氏が、
 「俺は実権を握って放さない。法的な責任、国会の証人喚問とか、ああいうのはもう、バカバカしくてやってられんよ」
と私に本音を言ったことがあった。名を捨てて実を取ったわけである。
 かくして満を持して、「第2次宗門戦争」が仕掛けられた。前回の失敗から、こうした抗争で何より大切なのは資金力だと悟ったのだろう。“財務”と称して会員から多額の寄付を掻き集めた。創価学会の宗教ビジネスは暴走しはじめた。現在のようななりふり構わぬ金集めが常態化したのは、この時からのことである。
 兵糧を固め、覚悟を決めて打って出た再度の抗争だけあって、今度は池田氏は一歩も引かなかった。ついに1991年、組織としての創価学会が、翌92年には池田氏個人も宗門から破門処分となった。そもそもの教義の大本を失ったわけで、学会内にもかなりの衝撃が走り、脱会して日蓮正宗信仰を貫く者も数多く出た。宗門という権威に取って代わったのが池田崇拝路線だった。池田氏は創価学会が破門されるや、学会の会則に、
 「牧口初代会長、戸田第2代会長、池田第3代会長の『3代会長』は永遠の指導者である」
という項目を書き加えさせてしまった。一応3人について言及されているが、前のお2人はとうに亡くなっている。結局自分だけが「永遠の指導者」として、別格の地位に立つことになったわけだ。
 公明党を政権与党に送り込むという目的も果たした。宗門乗っ取りこそなし得なかったが、頭の上の煩わしい権威を否定し、池田氏は唯我独尊の道を歩んで今日に至る。まるで“生き仏”のごとく君臨している。

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