公明党元委員長が見た池田名誉会長
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公明党元委員長 矢野氏
手記 「創価学会名誉会長 池田大作と
国税との交渉

 この第2次宗門戦争が決着する頃、私はすでに政治の第一線を退いていた。1989年に公明党委員長を辞任し、93年には政界を引退した。
 政治家として学会のために最後に働いたのが、国税庁との交渉である。1990年から翌91年にかけて、学会に国税庁の調査が入ったのだ。東京国税局資料調査課、俗に「マルサ」と呼ばれる査察部ではなく、「マルサより恐い」と言われる「料調」であった。マルサが悪質な脱税事件について強制調査を行うのに対して、料調はまだ事件化していない案件について綿密に資料を集め、じっくりと調査を進める。税務調査の腕は料調が一番と言われており、何年もかけてじわじわと対象を追い詰める恐ろしさは、まさにマルサの比ではない。
 「国税が調査したいと言ってきている」
 「どうも、ただごとではない」
 私に何とかしてくれと依頼してきたのは、当時の秋谷5代会長だった。既に私は党の常任顧問という立場にあり、こうした対応をするのは現職の書記長のほうが動きやすいだろうと思ったので、
 「そういうのは市川(雄一)君に任せればどうか」
と断った。当時は石田委員長、市川書記長というラインである。
 実を言うともうたくさんだ、というのが本音だった。委員長を辞める前年の1988年、国会は消費税導入問題に揺れていた。当然、公明党としては導入反対の立場で、国会でも自民党と激しくやり合っていた。ところが、ある日、竹下登首相(当時)から、「矢野さん、あんたのところの本家は賛成らしいぞ」と声を掛けられた。こちらは完全に寝耳に水だ。聞けば、学会の山崎尚見副会長が、池田氏からの伝言として、電話でそう伝えてきたというのである。
 私は山崎副会長に怒り心頭で詰め寄った。彼は、
 「その通り、P(プレジデントの略。池田氏のこと)の意向だ」
と答えた。この時は、つくづく嫌気がさした。
 政権に貸しを作っておこうという考えなのだろうが、党の頭越しにそんなことをされては、公明党はピエロだ。
 ところが秋谷氏は国税問題で再三、私のところに頼みに来る。とうとう地元の関西に帰っている時にまで、押しかけてきた。
 「この件は矢野にやらせろ、というのが池田先生のご意向なんだ」
 頭に来たが、私は最後のご奉仕のつもりで渋々引き受けた。学会顧問弁護士の山崎氏はこの頃既に造反していたため、後任の八尋頼雄氏とともにこの件に当たった。
 池田氏や秋谷氏が国税対策を私に頼ったのも、故ないことではない。公明党の書記長を20年も務めた私は、現場の官僚と接する機会も多かった。たとえば、当時の大蔵省から予算委員会の日程の件で相談が持ちかけられる。公明党がキャスティングボートを握る場面も多かったから、我々がどう動くかで予算成立の日程も変わってくる。そこで日程調整において、便宜を図ったこともある。
 キャリア官僚の出世は早い。20年も経てば、現場調整で駆けずり回っていた者が局長級にまでなっている。
 「あんたも偉くなったモンやなあ。俺だけ万年書記長や」
などと笑い合っていたものである。
 そんなわけで、大蔵省の幹部級、国税庁のトップクラスにも旧知の人物がたくさんいた。「何とか手心を」とお願いしにいくのに、確かに私以上の適任者はいなかった。


【譲れない6項目】
 八尋氏からは、どうしても学会側が譲れない方針として、次のような主旨の6項目をペーパーにしたものが渡された。
1.宗教法人の公益会計部門には絶対立ち入らせないこと
2.会員の“財務”における大口献金者のリストを要求してくるだろうが、絶対に撥ねつけること
3.財産目録を提出しないこと
4.池田氏の秘書集団がいる第一庶務には調査を入れさせないこと
5.池田氏の「公私混同問題」についても絶対立ち入らせないこと
6.学会所有の美術品には触れさせないこと
 たとえば2では、献金者の名前や献金額が分かれば、反面調査といって実際に献金者に献金額を問うことができる。万が一、実際の献金額とリストの金額が違えば、ではその差額はどこに消えたのかという話になる。また4では、第一庶務は池田氏の日常生活に至るまでお世話をするため、そこを触られれば即座に池田氏個人の金銭問題に発展する恐れがある。どれも学会にとって、突かれればいくらでもボロが出そうな問題ばかりだった。
 宗教法人は信仰に直結する事業については、基本的に非課税となっている。こちらが「公益会計」である。その他の収益のある事業が「収益会計」で、学会においては聖教新聞などがこれに当たる。
 「収益会計」も布教に関わるなどの名目で、一般よりも低い税率に抑えられているものが多いが、これすらも学会においては区別が曖昧になっていた。本来「収益」に勘定すべきものも「公益」のほうに繰り入れてみたり、とにかくいい加減なのだった。
 中でも甚だしいのが、池田氏関連である。個人の資産は当然、法人会計とは切り離して勘定すべきだが、ごちゃ混ぜのまま放置されているものが多かった。例えば学会では、世界中から池田氏のお眼鏡にかなった美術品を、学会の会計で購入してきた。池田氏の個人的趣味ならば、購入は池田氏個人の財布で賄うべきだし、美術品は個人の資産として計上されるべきものだろう。当然、国税の調査官たちは財産目録と美術品の現物をチェックしたいと求めてきた。こちらは先の6項目に従い、「美術品は、会員から贈られた素人絵画と一緒くたになっていて仕分けに時間がかかる」「財産目録は目下、鋭意整備中です」などと必死に言い逃れた。
 さすがに国税の料調は精鋭揃いだった。的確に問題を指摘し、こちらが死守しようとしていた6項目に踏み込んできた。


【使われない池田専用施設】
 実は学会資産の非課税問題については、以前にも取り上げられたことがあった。
 1977年、民社党の春日一幸氏(当時委員長)や塚本三郎氏(当時国対委員長)らが、池田氏専用の贅沢施設について国会で問題視したのだ。竹入氏に送られてきた質問主意書は、
 「創価学会が全国に建設している会館や研修道場には池田氏専用の豪華施設があるが、とても宗教の用に供しているとは思われない。課税対象とすべきではないか」
となかなか手厳しいものだった。
 全国の多くの会館にはかつて、池田氏専用の「会長室」が設けられていた。極めて小規模な会館内の、たとえ8畳程度の狭いものであっても、きっちり床の間もあり押し入れもあり、と立派な仕立てで部屋が一室、用意される。そこだけ総檜造りなどで、他の部屋よりずっと念入りに設計される。そんな地方の会館に氏が実際に宿泊するはずもない。それどころか来ることもまずなかろう、ということは問題ではないのだ。池田氏を絶対化する象徴として、専用施設が必要だった。
 小さな会館ですらこうである。箱根や軽井沢、霧島といった日本各地の景勝地に設けられた研修道場には、池田氏専用の家屋が一棟、必ず用意されていた。研修道場にはおおぜいが一堂に会合できる、何百畳敷という広大な建物が建てられるが、それとは全くの別棟である。たいていが敷地の中で最も眺めのいい場所に作られる。
 部屋割りは十何畳敷の寝室、控えの間、豪華な風呂とトイレ、厨房に、周辺のお世話をする第一庶務の女性職員用の部屋、といった感じだ。前出の山崎氏の著書『「月刊ペン」事件 埋もれていた真実』(第三書館刊)によるとこうした施設を作る際、建設費用は「仏間に3分の1、一般施設に3分の1、池田氏専用施設に3分の1」の割合で配分され、調度品に関しては、「1対3の割合で専用施設に金が注ぎ込まれ」ていたという。
 年に1回使うかどうかという施設に惜し気もなく金を投入するこの感覚。常人には想像もつかないに違いない。ともあれ民社党はここを突いてきたわけだ。
 結局、この時は、こうした施設に慌てて牧口初代会長や戸田2代会長の遺品などの記念品を運び込み、
 「池田氏専用施設ではない。これは記念館だ。資料館だ」
という説明で切り抜けた。会館の部屋も「恩師記念室」「資料室」へと名前を変えた。要は国税対策である。せっかく造った庭園をつぶし、置き石は捨てられ、露天風呂や池は埋め立てられた。その場しのぎもいいところだ。
 かくして期せずして、各地に牧口先生や戸田先生、池田氏ゆかりの記念品を陳列する施設が並び立つことになった。そうした経緯のあるものを含めて、今や全国の創価学会所有の施設に、どれだけ「池田」の名を冠したものがあることだろう。「池田文化会館」「池田講堂」「池田記念墓地公園」……。
 自分が行こうが行くまいが関係ない。とにかくそうした建物や部屋を作らせ、「池田」の名をつけさせる。常人にはちょっとついていけない、執念にも近い自己顕示欲である。また全国の方面幹部が、この意を汲んで現実化する。かくして一般人には冗談としか思えない滑稽な光景が展開されるのだ。


【残された“宿題”】
 話を1990年、91年の国税調査に戻そう。この問題は特に、今振り返っても慚愧の念に堪えない。いくら池田氏や学会を守るためとはいえ、自分の人脈を頼りに、税金逃れのための裏工作に携わったと言われても仕方がないと思っている。それを覚悟で、ここに記すのは、この国税問題は創価学会にとって決して過去のものではないからだ。
 秋谷氏からの要求を呑む形で、私は早速、国税庁の局長クラスや東京国税局長のところなどに顔を出した。先方は、
 「おや、矢野先生のお出ましですか」
などとトボケている。
 「実は学会に国税調査が入ろうとしている。私も学会から泣きつかれて困っている」
と暗に手心を要求すると、
 「しかし既に現場が動き出してますからねえ。今さら私らから何か言っても、どうしようもありませんよ」
 「いや、だから……そこを何とか」
 向こうだって簡単に、ハイそうですかと呑んではくれない。当然だし、こちらも覚悟の上である。腹を据えて交渉にかかった。すでに実地調査に入られた学会の現場からは、
 「ここまで入り込まれた。何とかしてくれ」
と悲鳴が上がる。学会側の担当である八尋氏からも連日、交渉の首尾を尋ねる連絡があり、同時に先の6項目はどうしても譲れないなどと念押しもされる。結局何度、国税に通ったことだろうか。とにかくあれはダメ、ここもダメ、だけではすまない。こちらからも何かを差し出す必要があった。
 色々と話し合った結果、池田氏個人の問題とは一番関係のなさそうな項目として、学会の墓苑会計を差し出すことにした。学会が全国各地に有す墓苑の会計は、当時ほとんど非課税として処理していた。お墓は信仰上のものだから当然、という感覚である。
 ところが学会にとってこの墓苑経営くらい旨みのある事業もない。学会の墓苑の墓石デザインは同じである。洋型と言われる簡略で画一的な墓石が何万基も並んでいる様は、一種異様な光景と言うしかない。しかもまとめて購入して建てるので、墓石も割安だ。
 それを、場所によって異なるが、高いところでは百万円近い値段で会員に買わせる。といって、学会が無理強いする必要はない。池田氏が提唱した、お墓はいくつも持ったほうが信仰につながるという教えに基づき、学会員が進んでせっせとお金を払って、墓を買ってくれる。私もいくつ墓を買ったことか。なかには遠方すぎて1度もお参りに行ったことがないところさえある。
 これはいくら何でも収益事業だろうという話になった。こちらとしても課税はしかたない、という感覚だった。
 問題は、ではどこまで課税するかである。地面の上の墓石については売上に税金をかけられてもしかたがあるまい。だが、地中に埋まったカロート(納骨室)の売上まで課税の対象になるのか。このあたりで、国税と激しくやり合った。
 実はやり合ったのは、時間稼ぎの意味もあった。最終的にはカロートの売上まで課税されてもしかたがない。だがすんなり呑んでしまったのでは、課税対象がさらに広がる恐れがある。墓苑だけでなく、他にも税金をかけられる事業はないか、と検討する時間を国税当局に与えるわけにはいかない。だからこの程度のところでギリギリやり合って、他まで累の及ぶ事態を防ごうとしたのである。
 結局、墓苑事業のうちカロートの売上まで含めた墓石販売を収益事業と認めることで、双方が妥協した。1990年3月までの過去3年間が対象とされ、申告漏れは約24億円。学会は6億円を超える追徴課税を支払うことになった。
 八尋氏から示された「絶対触らせない6項目」の核心部分は、概ね守り抜いた。国税としては問題点を指摘したうえで「今回のところは見逃すが、次の調査までにきっちり資料を揃えておくように」と“宿題”を残していったようなものだろう。以来、現在まで学会に税務調査は入っていない。
 次に再び学会に国税が調査に入るのがいつなのかは分からないが、その時、“宿題”は片付いているのだろうか。


【「政権を取らないとダメなんだ」】
 前述のように1993年、私は政界を引退した。その頃には、池田氏の存在は徐々に私にとって、距離のあるものになっていった。
 組織が大きくなり、一対一の関係が築けなくなったことも大きな原因だろうが、会員たちにとっても、池田氏はただ仰ぎ見る存在になってしまっている。もちろん、池田氏も自らの権力を維持するために虚飾し、雲の上の存在と位置づけるために、様々なシステムを学会内部に築きあげてきた。
 考えてみればあの「国税問題」の時も池田氏と直接会話を交わしたことはない。秋谷氏を介して意向を伝えられただけだ。いまでは、公明党首脳ですら、池田氏に会うのは年に1〜2回あるかないかだと聞いている。
 だから、池田氏がいま何を考えているのかは、池田氏本人以外わからないというのが本当のところだろう。ただ言えることは、池田創価学会と公明党は政権の座に執着しつづけるだろうということだ。
 その理由は2つある。
 1つは国税対策である。あの2度にわたる税務調査で、それがどれだけ恐ろしいか、学会は身を以て味わった。ある時、池田氏は私に語ったことがある。
 「やっぱり政権を取らないとダメなんだ」
 そして、うまいこと閣僚ポストが転がり込んできた時はついつい浮かれて「デエジン発言」になった。
 もう1つが証人喚問問題だ。今、国会の証人喚問は実質的に多数決のルールが取られている。かつて私が慣例化した「全党一致」は骨抜きにされてしまっている。だから、池田氏の喚問を確実に阻止するには常に与党にいて、国会で多数派に属していなければならないのだ。
 政界が大分水嶺に向かう中、創価学会・公明党は今後どのような動きを示すだろう。
 創価学会と公明党にとって池田氏は、余人をもって替え難い指導者だ。内部的に全能でありすぎて、首脳幹部たちは自らの頭で考えて判断することを放棄してしまったかのようである。確かに判断を他に委ねることは楽なことかもしれない。盲目的に帰依することは幸福なのかもしれない。しかし、唯一の頭脳が反社会的色彩で染められているとしたら、被害を受けるのは学会員だけではない。
 その池田氏もすでに81歳である。もし、今後、私が彼と言葉を交わす機会があれば、「池田先生、もう十分やりたいことはやられたでしょう。そろそろ大風呂敷の手仕舞いをなさったらどうでしょうか」と申し上げたいと思っている。



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